【東京都のパワースポット】愛宕神社(あたごじんじゃ)|港区
東京メトロ日比谷線の神谷町駅から徒歩約5分。東京都港区にあるパワースポット、愛宕神社をご紹介します。
愛宕神社は、今から400年以上前の慶長8年(1603年)に、江戸幕府の初代将軍・徳川家康の命によって江戸の防火防災の神様として愛宕山の山頂に創祀されました。
愛宕神社は防災だけではなく、仕事運や商売繁盛のご利益でも知られています。
とくに境内に続く急な石段は「出世の石段」として有名で、周辺のオフィス街に通うビジネスマンも参拝に訪れているパワースポットです。
「出世の石段」とは?
登山道や参道で登る道が2本に分かれているとき、険しい方を「男坂」、緩やかな方を「女坂」と名付けることがあります。
「出世の石段」は、標高25.7mの山頂にある境内まで続く愛宕神社の「男坂」です。
その石段は傾斜角度が40度、86段となかなか険しいものになっています。
この石段が「出世の石段」云われるようになったのは、三代将軍家光公の頃に活躍した三人の馬術の名人にまつわる講談、「寛永三馬術」の冒頭で語られるエピソードに由来しています。
寛永三馬術「出世の春駒(誉れの梅花)」
寛永11年の春、三代将軍家光公が、大勢の旗本衆とともに梅の花の咲く愛宕山の下を通った時のことです。
家光公は家臣に、馬に乗って神社へ登り、紅梅、白梅を一枝ずつ手折ってくるようにと命じました。しかし、境内へ続く石段は長く急勾配で、馬で登れば転落は免れません。
皆が困り果てていると、無謀にも見るからに痩せこけた馬に乗る、一人の家臣が名乗りを上げて石段を登り始めました。
その者は、のちに馬術の名人と謳われる曲垣平九郎(まがきへいくろう)。登りはおろか、さらに難しい下りまで見事に成し遂げて梅の枝を献上した平九郎を、家光公は「日本一の馬術の名人」と称え、その名は一夜にして天下に轟いたそうです。
ちなみに愛宕山は、1925年(大正14年)に日本で最初のラジオ放送局が開局した場所でもあります。同年に、旧陸軍参謀本部の馬丁をしていた岩木利夫氏が、愛宕山石段の騎乗登頂を成し遂げるまでの様子を伝えたラジオ放送は、日本で初めて行われた生中継ともいわれています。
愛宕神社にあるパワースポットの巡り方
家康公に所縁のある愛宕神社は、江戸時代から天下取りや勝利の神様としても信仰されてきたパワースポット。今回は、境内の主要なスポットを巡る参拝コースをご紹介します。
出世の石段から境内へ
愛宕神社へ登るルートは複数あります。「出世の石段」の入口は、最寄りの神谷町駅から愛宕トンネルを抜けて左手に曲がった大鳥居です。神様の通り道とされる参道の中央はできるだけ避けて訪れましょう。
出世の階段を登るとき、途中で言葉を発するとご利益を得られないという説もあるのでご注意くださいね。
本殿と末社
出世の階段を登り切り、右手にある児盤水の池の横に鎮座する弁財天社は、金運向上の御神徳があるとされる市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)を祀る末社です。
もとは防火防災の神様として祀られてきた愛宕神社。手水社で身を清めたあと、社殿に続く丹塗の門をくぐると災いを避けられるそうです。本殿の横には、太郎坊社、福寿稲荷社、大黒天社も並んでいます。
将軍梅と招き石
門の左手にある「将軍梅」は、平九郎が家光公に枝を献上したとされる梅の木です。右隣りにある「招き石」を撫でると福が訪れるといわれています。
女坂から境内を出る
出世の階段を「下る」のを避け、帰り道は女坂を選ぶ方が多い愛宕神社。ちなみに女坂を下ると。縁結びや厄払いなど嬉しいご利益もあるそうです。
愛宕神社へのアクセス
住所
沖縄県那覇市首里金町1-2 首里城公園内
アクセス
【モノレール】
那覇空港駅→首里駅(約27分)
首里駅からは、徒歩約15分で首里森御嶽に到着します。
【車】
那覇空港から国道58号線へ向かいます。国道58号線を北向けに進み、泊(とまり)交差点を右折。県道29号線を進み、案内標識に従って目的地へ。
所要時間は約30分。公園周辺には料駐車場も整備されています。
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