【熊本県のパワースポット】山崎菅原神社|熊本市
熊本市電の花畑町駅から徒歩3分、場所は熊本城に向かう行幸橋(みゆきばし)のすぐ近く。熊本市街中心部にある山崎菅原神社は、学問の神様・菅原道真公をお祀りしています。
熊本市民会館と大きなビルに挟まれるように、ひっそりと鎮座する小さなお社ではありますが、900年以上の歴史を持つ由緒ある神社です。
近年は、全国で数ヵ所しか引くことのできない、珍しい恋のおみくじでも有名になりました。
平安時代から続く由緒ある天満社!山崎菅原神社の歴史
山崎菅原神社の由緒は、平安時代の中頃まで遡ります。
当時、熊本の北部一帯は、筑前国(現在の福岡)の大宰府が治める「赤星荘」という荘園でした。
山崎菅原神社のはじまりは、赤星荘に荘官として赴任した菊池則隆が、当地に太宰府天満宮を勧請した「菅原山天満宮
という天満社です。
もとは菊池川の上流、現在の菊池市にあった神社は、その後幾度か遷座を重ねながら、大正4年(1915年)に現在の熊本城近くに鎮座しました。
ちなみに神社を創建した菊池則隆は、肥後の歴史に名を残す一大豪族、菊池一族の始祖にあたる人物でもあります。
則隆は山崎菅原神社のほかにも、佐保川八幡宮や貴船神社、円通寺など熊本に多くの寺社仏閣を勧請して、平安時代の後期から戦国時代まで約450年間にわたって栄えた肥後の名門、菊池一族の基礎を築きました。
恋の悩みにズバリと刺さる!「イチハラヒロコ恋みくじ」
山崎菅原神社で話題の「イチハラヒロコ恋みくじ」は、吉や凶ではなく、恋の行く末を言葉で伝える、一風変わったおみくじです。
おみくじを引いて目に飛び込むのは、真っ白な紙に太字で書かれた、力強いメッセージ!
今の自分を見透かすようなシンプルな言葉だからこそ、グサッと心に残ります。
このインパクト抜群の恋みくじは、文字と言葉をモチーフとした作品で知られる現代美術アーティスト、イチハラヒロコさんの作品です。
もともとは大阪の松原市にある布忍(ぬのせ)神社の宮司さんの発案で、この“吉凶のない”ユニークなおみくじが生まれました。
現在、イチハラヒロコ恋みくじが引ける神社は、全国でも数ヵ所しかありません。
「そこそこええ人生ですやん。」
「私の扱い、なんか雑。」
「嫁と姑、まぜるな危険。」
「その女と別れろ。」
クスリと笑えるメッセージから、心にズバリと刺さるストレートなメッセージまで、おみくじの種類は全部で36通り。
はがき大の用紙に書かれた言葉は、そのまま飾れる美術作品としても魅力的です。
まずは本殿の神様をお参りしてから、社務所に立ち寄って宮司さんにおみくじの筒を引かせて頂きましょう。
「学問の神様」菅原道真公をお祀りする山崎菅原神社
全国で学問の神様としてお祀りされている菅原道真公は、平安時代の前期に生まれた歴史上の人物です。
もともと菅原家は、決して身分の高い家柄ではありませんでした。
ですが幼い頃から才気に恵まれた道真公は、若くして国の最高位学者となり、さらには政治家としても右大臣にまで昇りつめます。
ところが右大臣になってわずか3年後、政争の果てにまだ荒れ果てていた太宰府へと左遷された道真公は、無念のうちにこの世を去ります。
都の人々は道真公の死を悼み、太宰府天満宮や北野天満宮、湯島天神の神様として、その御霊をお祀りするようになったそうです。
平安時代から続く山崎菅原神社の社殿は、明治10年の西南戦争で一度は焼失してしまいます。
現在の社殿は、明治43年(1910年)に造営された当時のもの。
昭和20年の熊本大空襲で奇跡的に焼失を免れ、まだ記憶に新しい平成の熊本地震では、鳥居が倒壊するなど境内のいたるところで大きな被害がありながら、比較的少ない損害で耐え抜きました。
熊本の激動の歴史を見守り続けた、由緒ある天神さまです。
山崎菅原神社へのアクセス
住所
〒860-0805 熊本県熊本市中央区桜町1-18
アクセス
【電車】
「JR熊本駅」から熊本市電(A系統健軍町方面行)で15分、「花畑町電停」にて下車徒歩3分です。
【車】
九州自動車道の「熊本IC」や「植木IC」から約30分です。
熊本空港からのアクセスは第二空港線(県道36号線)を経由して約35分で到着します。
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